天皇弥栄

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第十七代天皇【履中天皇】

仁徳天皇第一皇子。仁徳31年(343年)1月15日、大兄去来穂別命が8歳で立太子された。仁徳天皇は早くからこの第一皇子を後嗣として決めておられたが、即位は56年後となった。

「記・紀」では、先帝崩御の直後、即位直前に同母弟で第二皇子の住吉仲皇子すみのえのなかつみこによる謀反大逆の「墨江之中津王の乱」が起きたと記されている。

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第十七代天皇【履中天皇】

 波邇賦坂はにふざか 我が立ち見れば かぎろひの   燃ゆる家群いへむら 妻が家のあたり 【御名】 大兄去来穂別尊おおえいのいざほわけのみこと 去来穂別いざほわけ天皇(日本書紀)【陵所】百舌鳥耳原南陵世系22、即位65歳 […]

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第七十七代天皇【後白河天皇】

鳥羽天皇の第四皇子として生まれ、異母弟・近衛天皇の急死により皇位を継ぎ、譲位後は34年にわたり治天の君(上皇)として二条・六条・高倉・安徳・後鳥羽の5代にわたって院政を行った。
平清盛、源頼朝を翻弄した「日本一乃大天狗」と呼ばれた。

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天皇彌榮奉祝天長節  

本日は今上陛下のお誕生日を奉祝する「天長節」である。

陛下のお誕生日を心よりお祝い申し上げると共に、朝に夕なに我が国と我ら国民と日本国の為にお祈りされている天皇陛下の大御心に深謝し、玉体の安寧と皇室の弥栄を、衷心より御祈念申し上げる次第である。

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第百十一代天皇【後西天皇】

古典への理解も深く文芸の道に秀で和歌・連歌に堪能であられ、歌集「水日集」や「源氏聞書」「百人一首聞書」等の著作を多数残し御撰には「集外歌仙」がある。更には茶道・華道・香道にも練達で、勅作の香銘も多数ある。
しかし、治世中には伊勢神宮・大坂城・内裏などの炎上や明暦の大火(振袖火事)、地方の地震、水害などが多発した。

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第八十二代天皇【後鳥羽天皇】

文武両道に秀で、文化芸術を愛した多才ぶりを発揮した後鳥羽天皇。

和歌の三大集の一つである「新古今和歌集」を藤原定家に命じ編纂されました。新古今和歌集に代表される歌風や歌調は、その後の和歌の作風に大きな影響を与え「新古今調」と呼ばれています。

19歳という若さで第一皇子の「土御門天皇」に譲位し、後鳥羽上皇となります。その後、「順徳天皇」、「仲恭天皇」と3代23年間に亘って院政を敷きました。

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第八十八代天皇【後嵯峨天皇】

承久の乱で中立ではあったが土御門上皇(父)は四国に移された。1242年事故で四条天皇が十二歳で夭逝ようせいすると、鎌倉幕府の北条時康は順徳上皇系の即位を嫌い土御門天皇の第三皇子の邦仁親王を後嗣として選び即位した。

後嵯峨天皇は朝議を主導する為、4年後に四歳の後深草天皇に譲位され「治天の君」として26年間にわたり院政を行ったが、後継者を決定せず幕府に一任して崩御したで北朝・持明院統(後深草天皇の血統)と南朝・大覚寺統(亀山天皇の血統)の確執の種を作ってしまった。

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奉祝!紀元節

本日は神武天皇が橿原かしはらの地で初代天皇として御即位されたことに由来する祝日である。

日本国は皇紀二千六百八十三年を迎えた。
建国以来神話から続く万世一系の天皇をいただきこれほど長きにわたって存続している高貴なる日本国。

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国士の旅
昭和天皇【武蔵野陵】参拝

ご平癒を願う国民の祈りも空しく、昭和天皇陛下は、昭和64年(1989年)1月7日午前6時33分、八十七歳のご生涯を静かに閉じられた。

昭和天皇陛下が御崩御あそばされてから34年となる。

今年も、昭和天皇 武蔵野陵へ参拝した。

武蔵陵は都内唯一の皇室墓地であり、大正天皇の御陵である多摩陵・貞明皇后の多摩東陵・昭和天皇・香淳皇后の武藏野東陵の4つの御陵がある。

京都から取り寄せたという北山杉が立ち並ぶ荘厳な空間が広がり、玉砂利が敷き詰められた参道を進み武藏野陵に向かい参拝させて頂いた。

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元明天皇 第四十三代天皇

天智天皇第4皇女。草壁皇子妃。持統天皇は異母姉妹であると同時に姑でもあった。大友皇子(弘文天皇)は異母兄。首皇子おびとのみこ(文武)・氷高皇女(元正両天皇)の母。
夫の草壁皇子が天皇に即位することなく夭折し、長男の首皇子が15歳でとして即位(文武天皇)されたが25歳で崩御されてしまった。不運が続き
孫の珂瑠かる皇子(後の聖武天皇)が幼かったため成長するまでの間の中継ぎの天皇として祖母である阿閉皇女が即位され元明帝となられたのである。
藤原京から平城京へと710年に遷都され奈良時代が始まりました。
天武天皇時代から編纂へんさん)が続けられた古事記が完成し、諸国に風土記の編纂を命じられました。日本初の流通貨幣の和同開珎わどうかいちん)の鋳造なども行なわれました。
娘である元正天皇がやはり中継ぎとして皇位を継承された事を「女性から女性へのリレーだから女系」と解釈する輩がいるが、皇位継承権を持つ男系男子の皇女である事実を忘れた無知の大きな間違いである。

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