勉強会・講演会
六・四天安門事件33周年抗議集会

天安門事件の犠牲者たちを追悼する「六・四天安門事件33周年抗議集会」が開催された。支那共産党の迫害から逃れる為、自由の闘士たちは已む無く国外に逃れた。無念と真の自由への熱い希求の思いを各氏が情熱的に語った。

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国士の旅
国士巡拝武蔵【諸嶽山總持寺】 

本日、6月2日は閣下の生誕の日でもある。
昭和20(1945)年8月16日未明、特攻で戦死させた将兵に陳謝し、英霊と遺族への償いの為、腹を十文字に切って喉を突き、なるべく苦しんで死ぬようにと介錯を断り、自らの血の海で半日以上も悶えた末に絶命された。
自ら特攻に出撃した宇垣 纒海軍中将以外も、多くの指揮官はその後残りの一生をかけて贖罪された方が多いと伝え聞く。                                                 敷島の大和心を人問わば朝日に匂ふ山桜花 宣長

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国士の旅
秩父路を往く(参) 竹寺

山岳信仰の道場として千年余の歴史を有した日本的精神の基となった神仏習合の遺構である。
昔の巡礼者は標高640mにある第32番札所の子ノ権現天竜寺から豆口峠を通って、難行の末やっとたどりついたであろうことが想像される鳥居の下の茅の輪をくぐってお参りを…
と言うと神社と思われるが、ここはお寺。本尊も仏様ではなく「牛頭天王」を祀り、本地仏に「薬師如来」を配している。

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日本精神
神風特別攻撃隊とは何か【其の弐】大西瀧治郞中将

昭和20年8月16日、大西瀧治郎中将は「・・・深謝す」と書き遺して自刃した。
大西中将は神風特別攻撃隊による作戦を企図し、それを指揮した。
特別攻撃隊創始者のひとりである事は間違いない。
大西中将も特攻作戦を「統率の外道」とも評しながらも、何故数多の若者に死を命じなければならなかったのか。「総意の実行者」ではあったのだ。

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日本精神
神風特別攻撃隊とは何か【其の壱】

神風特別攻撃隊とは何か 初めに 昭和19年10月25日サマール島沖始まり、20年8月15日の終戦までの間、3500からの特攻攻撃で日本は世界の人々の心胆を寒からしめた。クレージーアタック、スイサイドアタック等と呼ばれた日 […]

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勉強会・講演会
令和四年 楠公祭

皇紀二千六百八十二年 楠公祭 乃木神社尚武館において「楠公祭」が斎行された。楠公祭とは、南北朝時代、湊川の戦で刀折れ矢尽き散っていった忠義の人、楠正成の命日(旧暦五月二十五日)にその慰霊顕彰するお祭りである。 楠公祭 【 […]

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国士の旅
秩父路を往く(弐)  子ノ権現

子ノ権現縁起に、「魔火のため腰と足を傷め悩めることあり。故に腰より下を病める者、一心に祈らば、その験を得せしめん。」とあり、古より足腰守護の神仏として広く信仰を集めている。江戸時代に参道は5筋あった。
今秩父は熱いのである!

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会員投稿
亡国の備え

過去に幾つの国家が歴史の渦の中に消えていったのだろう? 人類の歴史は戦争と疫病・治乱興亡の歴史でもある。破壊と建設それが人類に課せられた宿命なのであろうか・・・ 多くの国々が幾多の興亡を繰り返し、数え切れ無い人々の過酷な […]

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国士の旅
秩父路を往く(壱) 高山不動尊


武蔵の高幡不動、下総の成田不動と並んで「関東三大不動」の一つに数えられる奥武蔵の名刹が高山不動尊、正式名は「高貴山常楽院」





創建は654(白雉5年)という古刹で、往時は標高600mという奥武蔵の山中に36坊を持つ修験道場として隆盛を極めていたそうである。


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国賊奸賊
腐敗しきった神社本庁執行部を糾弾!

最高裁での全面敗訴がよほど悔しかったのか、この期に及んで、原告の稲氏・瀬尾氏が、裁判において「単なる労働者である」「神社本庁憲章など関係ない」と主張したなどと、真っ赤なウソを流布して両氏を貶めようとする輩がいる。全国の神職らは、神社本庁憲章の精神に反する姑息な輩を許してはならない!

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