会員投稿
道義無き民族は滅ぶ

明治41年(西暦1908年)の今日、明治天皇より「戊申詔書」が発布された。この詔書は天皇を中心とし、皇民一体となり「忠実業ニ服シ勤倹産ヲ治メ」ることによって国運を発展させ、欧米列強に伍していく国民のとるべき「道義」を「教育勅語」と並び示すものであった。

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名所旧跡
俳聖【松尾芭蕉】

滋賀大津の義仲寺という名刹が芭蕉の永眠の地。
大東亜大戦後、荒廃壊滅に瀕していた義仲寺の復興に尽力したのが我が一門の先師である三浦義一翁である。
義仲寺には、名の由来のとおり朝日将軍 源義仲・巴御前・山吹御前と彼を熱烈にを慕った芭蕉と共に昭和の文人 保田與重郎と三浦義一翁も眠っている。

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勉強会・講演会
「博友会」令和4年10月

「博友会」宗教と政治 コロナ騒動が一休みされる中、9か月ぶりに「博友会」が開催された。 『文藝春秋』10月号で「統一教会と創価学会」が特集された。 巻頭で「政教分離から暗黒史、安倍国葬まで語りつくす」という25頁の大特集 […]

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愛国維新運動
靖國神社清掃奉仕【令和四年神無月】

皇紀二千六百八十二年 靖國神社清掃奉仕 令和4年10月靖國神社清掃奉仕活動報告 靖國神社について 靖國神社やすくにじんじゃは九段坂の坂上に東面して鎮座し、日本の軍人・軍属等を主な祭神として祀る。勅祭社で旧別格官幣社。境内 […]

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天皇弥栄
第三十四代天皇 舒明天皇 

推古天皇元年御誕生
舒明天皇十三年十一月十七日崩御
父は敏達天皇の皇子押坂彦人大兄皇子。母はその異母妹糠手姫皇女、(田村皇女)。
推古天皇の没後、蘇我蝦夷は山背大兄王(聖徳太子遺児)と対立し、闘争に勝ち田村皇子の即位を実現した。
天皇は姪にあたる宝皇女(のち皇極・斉明天皇)を皇后として葛城皇子(天智天皇)・間人皇女(孝徳天皇皇后)・大海人皇子(天武天皇)を儲け、蘇我馬子の娘法提郎媛を夫人として古人大兄皇子を生み、吉備の蚊屋采女に蚊屋皇子を生ませた。
在位中、最初の遣唐使を送り、唐からの高表仁の返訪を受け、百済と新羅からの使節も訪れた。

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忘れてはならない事跡
維新前夜の英傑たち

吉田松陰は伝馬町牢内でその死を知り、
「左内と半面の識なきを嘆ず」とその死を惜しんだ。
奄美大島で隠遁中の南洲翁は、左内とはその死を知り、
「橋本まで死刑に逢い候儀案外、悲憤千万堪え難き時世に御座候」刑死を怒り悲しみ嘆いた。 
西南戦争で敗れ、城山の地で自刃した南洲翁が携帯していた革文庫の中に、左内からの南洲翁宛の手紙が収められていた。

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日本精神
頭山満先生

昭和19年(1944年)の本日は、国士「頭山満」先生がお亡くなりになった日である。
頭山翁は、明治・大正・昭和期に活躍した在野の国士である。
勤王・自由民権・条約改正と様々な運動を先導され、理を語るのみの思想家たることを潔しとせず、徹底した行動の巨人である。
国家主義者であり、大アジア主義を唱え、植民地の圧政に苦しむアジア諸民族の独立運動に寄与した。

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愛国維新運動
宇垣纏中将墓所清掃

昭和20年8月15日、正午の玉音放送は雑音で聴き取りは難しい状況であったが、降伏を知った宇垣中将は自ら特攻出撃すべく山本五十六元帥拝領の脇差を手に飛行場に向かった。
「いまだ停戦命令に接せず、多数の純忠の将士のあとを追い、特攻の精神に生きんとするにおいて、考慮の余地はない」と言い切り、
艦上爆撃機「彗星」11機と、搭乗員22名を従え出撃した。

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天皇弥栄
後土御門天皇 第百三代天皇

即位され、わずか数年で応仁の乱が勃発し都の市街地は大半が焼失した。それに加え痘瘡が流行し大混乱の世情であった。そんな状況でも帝は、朝廷の古来の儀式の復活に熱意を注がれ元日・白馬・踏歌の三節会は再興された。また和歌・連歌をよくし,歌集に「紅塵灰集」「いその玉藻」などがある。
日野富子兄妹等の専横や禁裏領荘園の押領に対し5回もをかんがえたが、足利将軍家に拒否された。
朝廷の困窮は極まり、恐れ多い事ではあるが御遺体が40日も放置されたと伝えられている。

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天皇弥栄
醍醐天皇 第六十代天皇

最長の33年間在位されました。
醍醐帝は和歌の振興に力を入れ、延喜5年(905年)には「古今和歌集」の撰進を紀貫之らに命じられ、御製が43首も入っているほか、家集「延喜御集」も編まれました。

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