鎌倉幕府

天皇弥栄
第八十二代天皇【後鳥羽天皇】

文武両道に秀で、文化芸術を愛した多才ぶりを発揮した後鳥羽天皇。

和歌の三大集の一つである「新古今和歌集」を藤原定家に命じ編纂されました。新古今和歌集に代表される歌風や歌調は、その後の和歌の作風に大きな影響を与え「新古今調」と呼ばれています。

19歳という若さで第一皇子の「土御門天皇」に譲位し、後鳥羽上皇となります。その後、「順徳天皇」、「仲恭天皇」と3代23年間に亘って院政を敷きました。

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天皇弥栄
第八十八代天皇【後嵯峨天皇】

承久の乱で中立ではあったが土御門上皇(父)は四国に移された。1242年事故で四条天皇が十二歳で夭逝ようせいすると、鎌倉幕府の北条時康は順徳上皇系の即位を嫌い土御門天皇の第三皇子の邦仁親王を後嗣として選び即位した。

後嵯峨天皇は朝議を主導する為、4年後に四歳の後深草天皇に譲位され「治天の君」として26年間にわたり院政を行ったが、後継者を決定せず幕府に一任して崩御したで北朝・持明院統(後深草天皇の血統)と南朝・大覚寺統(亀山天皇の血統)の確執の種を作ってしまった。

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天皇弥栄
後醍醐天皇 第九十六代天皇

この天皇ほど波乱万丈な天皇は、昭和天皇を除いてはいないのではないであろうか?
後醍醐帝の祖父であった亀山法王は尊治王の非凡さを見抜き、幼少の頃からその天皇即位を願っておられたと言う。しかし、持明院・大覚寺両統の皇位争いは熾烈を極め、尊治王の践祚は31歳の文保2年(1318年)まで待たなければならなかったのである。
30代での即位は後三条帝以来の250年ぶりであった。

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国士の旅
国士巡拝相模【大塔宮護良親王】

北条高時(得宗家当主・第14代執権)の次男勝寿丸(相模次郎時行ときつら)が鎌倉幕府再興のため挙兵(中先代の乱)し、足利義詮よしあきらが治める鎌倉に攻め入った。足利氏の主力部隊は、後醍醐天皇の新政府が、足利氏が鎌倉を拠点に「新幕府」を起こすことを警戒していたため、尊氏とともに京都に留め置かれていた為、万全の防御態勢をとれなかった。

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天皇弥栄
光厳天皇 北朝初代天皇

歴代天皇126代の内には含まれず北朝初代とされる。
持明院統の後伏見天皇の第三皇子。
隠岐に流された後醍醐天皇に代わり鎌倉幕府に擁立されたが、鎌倉幕府滅亡後に廃位された。しかし足利尊氏によって室町幕府が開かれると、光厳天皇は上皇となった。
南北朝時代と呼ばれたこの時代は国内を二分する内戦状態が57年もの間続いた悲劇と混乱の時代であった。
正統VS異端と言われてはいるが、両統とも相応の正統性があった。
光厳帝は二度も廃位された悲運の天皇である。

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天皇弥栄
【第八十二代天皇】後鳥羽天皇 

われこそは 新島守よ 隠岐の海の 荒き波風 心して吹け 遠島百首雑97 【御名・別称】尊成たかひら・たかなり・隠岐院【陵所】大原陵、隠岐海士町陵(火葬塚)即位4歳、在位16年、宝算60歳。誕生 1180年8月6日(治承4 […]

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天皇弥栄
第八十八代天皇【後嵯峨天皇】

榊とりますみの鏡かけしより神の国なるわが国ぞかし (続拾遺1457) 【御名・法名】邦仁くにひと・素覚 【陵所】嵯峨南陵さがのみなみのみささぎ即位22歳、在位5年、宝算53歳。誕生 1220年4月1日(承久2年2月26日 […]

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