愛国維新運動

愛国維新運動
晩秋の国士墓参

頭山満先生が率いた玄洋社は、日本に於ける国家主義運動の草分け的存在であった。
大陸浪人にも影響力を及ぼし、アジア各地の独立運動を支え、愛国主義団体や民族主義団体の道を開いた近代日本草莽の巨人である。
昭和50年の当時、首相であった三木武夫が進めていた政策で「核拡散防止条約」の早期批准に対し、大日本愛国党の筆保書記長は大きな危機感を持っていた。
そして六月、佐藤栄作元首相の国民葬が日本武道館で行われた時、武道館の玄関で筆保氏による天誅殴打事件が起き、早期批准は阻止されたのである。
師である赤尾敏先生と同じ愛国の熱い魂をお持ちになった国士であった。
一緒に眠る道子夫人も、赤尾敏先生の養女であったそうである。

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烈士巡拝及び墓所清掃
山口二矢烈士祥月命日

皇紀二六八十二年十一月二日。                                               本日は山口二矢烈士 没後六十二年忌の御命日である。 社会党委員長浅沼稲次郎を昭和三十五年十月十二日 […]

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愛国維新運動
野村秋介大人【祥月御命日】

野村秋介大人追悼二十九年墓前祭.
「口舌の徒が百万回喋っても、人は聞かない。しかし、命をかけて闘えば、勝ち負けは別として、言葉は通ずる。僕は、そういう生き方をしてきた」

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愛国維新運動
殉国 来島恒喜烈士の墓参

来島恒喜烈士【祥月命日】 来島恒喜烈士は大隈重信外務大臣を暗殺するべく、明治22年10月18日、外務省からの帰路にあった大隈に、彼の乗る馬車ごと爆弾を投げつけ、右足切断の重傷を負わせた。 来島烈士は爆弾が炸裂すると同時に […]

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愛国維新運動
靖國神社清掃奉仕【令和四年神無月】

皇紀二千六百八十二年 靖國神社清掃奉仕 令和4年10月靖國神社清掃奉仕活動報告 靖國神社について 靖國神社やすくにじんじゃは九段坂の坂上に東面して鎮座し、日本の軍人・軍属等を主な祭神として祀る。勅祭社で旧別格官幣社。境内 […]

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愛国維新運動
宇垣纏中将墓所清掃

昭和20年8月15日、正午の玉音放送は雑音で聴き取りは難しい状況であったが、降伏を知った宇垣中将は自ら特攻出撃すべく山本五十六元帥拝領の脇差を手に飛行場に向かった。
「いまだ停戦命令に接せず、多数の純忠の将士のあとを追い、特攻の精神に生きんとするにおいて、考慮の余地はない」と言い切り、
艦上爆撃機「彗星」11機と、搭乗員22名を従え出撃した。

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愛国維新運動
靖國神社清掃奉仕【令和四年夜長月】

皇紀二千六百八十二年(令和四年夜長月) 令和4年9月靖國神社清掃奉仕活動報告 靖國神社について 靖國神社やすくにじんじゃは九段坂の坂上に東面して鎮座し、日本の軍人・軍属等を主な祭神として祀る。勅祭社で旧別格官幣社。境内は […]

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烈士巡拝及び墓所清掃
大東塾十四烈士

「自分達が死んでお願い申してこそ神様がお聞き下され、百年後、千年後には必ず必ず神風を吹かせて元の日本にして下さる」との信念を持って地上に霊魂を残され、今でも代々木の地から皇国を見守られているのであろうと思うと感謝の念と無念の思いが交差する。

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事務局より
「憲法維新論」上梓

戦後の国論を二分してきた憲法改正議論だが、その成立の不透明さを護憲派は何故だか避けてきた。しかし、占領下の日本で公布された「日本国憲法」は、体裁上は国際法に則ってはいるが、原文英文のGHQによる理不尽な押しつけ憲法である事は事実である。
本書は、戦後日本の多くの病巣を生み出した「日本国憲法」の瑕疵と偽瞞を炙り出し、短歌という形の要項集でまとめ上げた作品である。
マッカーサーの戦略・制定過程・理不尽なる脅迫を時空列で追いながら全容を明らかにし、憲法改正の必要性を問う、尊皇歌人・荒沢義実氏による魂の叫びである。

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愛国維新運動
靖國神社清掃奉仕【令和四年文月】

皇紀二千六百八十二年(令和四年文月) 令和4年7月靖國神社清掃奉仕活動報告 靖國神社について 靖國神社やすくにじんじゃは九段坂の坂上に東面して鎮座し、日本の軍人・軍属等を主な祭神として祀る。勅祭社で旧別格官幣社。境内は、 […]

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