天皇弥栄

天皇弥栄
伏見天皇 第九十二代天皇

持明院統の後深草天皇の第二皇子。
日本史上随一の能書のうじょ)帝であらせられます。平安時代の上代様と呼ぶ和様を基調にした豊調な書風を確立され、「書聖」と呼ばれ書道の伏見院流の祖でもあらせられました。

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後醍醐天皇 第九十六代天皇

この天皇ほど波乱万丈な天皇は、昭和天皇を除いてはいないのではないであろうか?
後醍醐帝の祖父であった亀山法王は尊治王の非凡さを見抜き、幼少の頃からその天皇即位を願っておられたと言う。しかし、持明院・大覚寺両統の皇位争いは熾烈を極め、尊治王の践祚は31歳の文保2年(1318年)まで待たなければならなかったのである。
30代での即位は後三条帝以来の250年ぶりであった。

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皇位継承を御考察 其の四【皇后位の変遷と女帝の時代】

皇后位の変遷と女帝の時代 女性天皇の即位前の御立場 女帝の時代には十六代の大王/天皇の内、八代六人の女性天皇が即位したのだが、その一人一人が即位前にどの様な立場にあったのか? を、振り返りたいと思う。 (1)推古大王/天 […]

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雄略天皇 第二十一代天皇

允恭天皇の第5皇子。雄略天皇は大和朝廷による全国支配を形にした天皇。兄の八釣白彦皇子と坂合黒彦皇子・眉輪王・圓大臣(葛城氏)・市邊押磐皇子(履中第一皇子)とその弟の(みまのみこ)らを滅ぼした。支配体制の確立の過程で血の粛清による激しい政争が繰り広げられたと伝えられている。

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長慶天皇 第九十八代天皇

後村上天皇のの第一皇子。住吉・吉野・栄山寺などの行宮(あんぐう)に居住。
江戸時代は在位疑問節があったが、明治以降の実証研究により大正15年に皇統譜に加えらえた。生涯は戦乱の世に終始したが、「仙源抄」の著作があり、和歌に秀いで、「五百番歌合(天授元年)」「千首和歌(天授2年)」があり、「新葉和歌集」には御製五十三首が収録されている。

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明治天皇 第百二十二代天皇

明治天皇 明治天皇御製  よきをとり あしきをすてて 外国(とつくに)に    おとらぬ国と なすよしもがな 明治四十五年七月三十日に崩御 されました。 【御名・御称号・お印】睦(むつ)仁(ひと)・祐宮(さちのみや)・永 […]

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二条天皇 第七十八代天皇

雅仁親王(後の後白河天皇)の長男として御生まれになられる。音楽を好み、琵琶に精通され、和歌に秀でられた二条帝であった。
後白河天皇の弟覚性法親王のいた仁和寺に入り仏道を修行され、父の即位とともに還俗、皇太子となられ、三年後の1158年(保元3年)後白河天皇から譲位され即位され天皇となられた。しかし翌年「平治の乱」が勃発。
乱後に後白河院政派と二条天皇親政派の父子対立が激しく困難の政局であられたが、英明の帝は根気強く実権を掌握された。しかし、本格的な天皇親政をはじめようとしました矢先、病気のため23歳の若さで崩御されてしまった。
以後平清盛に実権を握られることになった。

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国士の旅
国士巡拝相模【大塔宮護良親王】

北条高時(得宗家当主・第14代執権)の次男勝寿丸(相模次郎時行ときつら)が鎌倉幕府再興のため挙兵(中先代の乱)し、足利義詮よしあきらが治める鎌倉に攻め入った。足利氏の主力部隊は、後醍醐天皇の新政府が、足利氏が鎌倉を拠点に「新幕府」を起こすことを警戒していたため、尊氏とともに京都に留め置かれていた為、万全の防御態勢をとれなかった。

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宇多天皇 第五十九代天皇

光孝天皇の第七皇子。臣籍から皇籍復帰し皇位継承。
藤原摂関家氏長者である藤原基経を初の関白としたが、基経の死後は藤原氏の勢力を抑えて親政を行った。側近として支えていたのが、菅原道真。
歴代天皇としてはじめて退位後に出家し「法皇」になられた。紀貫之や紀友則ら、多くの歌人が活躍する場を生み出した文化の理解者でもあった。
善政で知られた御歴代の多くは宇多天皇の「寛平の治」を踏まえたものだと称されいる。
余談ではあるが、宇多帝の日本最古の飼い猫記録が載っているらしい。源氏物語の注釈書の一つ「河海抄」に「寛平御記(宇多天皇御記)」より引用したとある。

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皇位継承を御考察 其の参【異常事態の中でうまれた女性天皇】

女帝の時代とは具体的には、
【三十三代 推古】から【四十八代 称徳】までの十六代を謂う。 
なんと、十六代中八代(重祚二代)が女帝なのである。 
更に、この十六代(十六世代交代)中、父帝から皇子(みこ)への継承は、明治政府が認定した「天智→弘文」の一継承のみであるが、日本書紀には弘文=大友皇子の即位の記録はない。
実際にはゼロなのだ。

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