皇位継承を御考察 其の参【異常事態の中でうまれた女性天皇】
異常事態の中でうまれた女性天皇
前述、其の壱“皇位継承史での女帝の実体”に於いて歴史的にみると、女帝は6世紀末から8世紀後半にかけて8代6人が集中している事を指摘した。
6~8世紀の【倭/日本】には、女の大王/天皇を普遍的に生み出す条件があり、8世紀後半以降はそれが失われていったとみなければならないと課題を設定した。
まず前提として、今回の歴史学的な論拠は「日本書紀」のみに限って展開する事とする。
一書にて過去を論ずる事は歴史学のセオリーから外れるのであるが、女性天皇問題の有識者会議に参集する御用学者の御歴歴は「日本書紀」がバイブルであり、真説・異説は頭から否定するか無視するか・・・
彼等の俎上に乗りたいが為では無く、あらゆる視点から見て・診て・覧て!
「女性天皇」は否定されるべきである事を、先ずはオーソドックススタイルで組み立てたいと考えての次第である。
女帝を生んだ条件とは?
女帝の時代とは具体的には、
【三十三代 推古】から【四十八代 称徳】までの十六代を謂う。
なんと、十六代中八代(重祚二代)が女帝なのである。
更に、この十六代(十六世代交代)中、父帝から皇子(みこ)への継承は、
明治政府が認定した「天智→弘文」の一継承のみであるが、
日本書紀には弘文=大友皇子の即位の記録はない。
実際にはゼロなのだ。
ここで確認しておくが 父帝から皇子への継承は【歴史的に覧て当然】なだけでなく【理論的にも当然】なのである。
何故なら、【皇統保持の目的】とさらに【天皇の祭祀王】としての現実からである。
例えば、イギリス女王エリザベス二世の王配故フィリップ殿下がクラブ・オブ・アイルズ
(欧州王家・大公家・財界の雄が集まる影のEU)の首領として暗躍した様に、女帝では、その配により国を左右する問題を引き起こす可能性がある事は歴然としているのだ。
又、 歴代ローマ教皇・歴代正教会大主教・歴代ダライ・ラマ・歴代天台座主は全員男である。
祭祀王が男性である事は当然なのである。
さて、話しをもとに戻して・・・
女帝の時代では 父帝から皇子 への正統な継承が皆無であった。それでは、他の時代では如何であったのか?探ってみたいと思う。
比較しやすい様「女帝の時代」と同じ十六代毎に区切り、父帝から皇子への継承が何世代継承あったのかを比べてみたい。
継承の代数調べの為、推古の先帝三十ニ代崇峻から女帝の時代に区分する。
また、初代神武から十六代仁徳は十五世代交代。
百十二代霊元から今上は十四世代交代。
他の六区分は十六世代交代が分母になる。
(1) 初代神武〜十六代仁徳 十四継承
(2) 十六代仁徳〜三十ニ代崇峻 六継承
(3) 三十ニ代崇峻〜四十八代称徳 (※明治政府により 一継承)
(4) 四十八代称徳~六十四代円融 九継承
(5) 六十四代円融~八十代高倉 六継承
(6) 八十代高倉〜九十六代後醍醐 七継承
(7) 九十六代後醍醐〜百十二代霊元 九継承
(8) 百十二代霊元〜今上 十一継承
鎌倉期の武士に権力が移行した時代や持明院統・大覚寺統から南北朝期にかけての混乱の時代でも、一定数は存在した父帝から皇子への正統な継承。
その正当継承が皆無であった異常とも言える女帝の時代!
次回はこの原因を探ってみたいと思います。
住吉正州